私は大丈夫。。
私には後期高齢者1年生になった母がいます。
名前はKちゃん。
このたび、理由あって私の家で共同生活をすることとなりました。
生活を始めて1週間余りが過ぎ、
あらためて、
いろいろな違いに気づきます。
前回お話しした体感温度もその一つ。
そして今日は、
年齢なのか、考え方なのか、個人の性格なのか。。。
今朝のエピソードです。
ここ数日、特に西日本において、
大雨による特別警報等が出され、
各地の被害の状況がテレビの画面に映し出されています。
私の住む町も、ずっと雨。
二人でテレビを観ながら、
「怖いね~。」と、
自然の力の大きさを感じていました。
そんな中、
時折、雨が小降りになるときがあり、
窓を開けてベランダに出るKちゃん。
じ~っと、外の様子をうかがっています。
(なんか、嫌な予感。。。。。。)
そして、部屋に戻って一言。
「ちょっと、家に帰ってこようかしら」
「いいのよ、車で送ってくれなくても。電車とバスで行けばすぐだから。。。」
は??そういう問題ではなくて。。。
いやいや、今、特別警報出てるでしょ?
しかも、たった今、「怖いね~」って言ってたじゃん!!
もう意味不明。。。
落ち着け落ち着け。。怒るな私。。。
私「何をしに家に帰ろうと思ったの?」
Kちゃん「部屋着の着替えを取りに帰ろうと思って。昨日も一日これ着てたから。」
一応、Kちゃんなりの理由はあるらしい。
それにしても、、、『今日』ですか?
私「今日は警報出てるから、外出たら危ないよ」
Kちゃん「大丈夫よ。今雨ひどくないし。。。」
私「あのね、今はひどくないけど、急にひどくなったりするんだよ。」
「元気な人でも怪我したりするのに、Kちゃんは体調がよくないのに無理したら、もっと大変なことになるかもしれないよ。
『雨の中、外に出て怪我した高齢者』って、全国ニュースに出ちゃうよ」
Kちゃん「そうね~。それは嫌だわ。今日はやめとこうかな。」
やれやれ😥。。。。
ひとまず安心。
何なんだろう。。。
具合が悪いと言いながら、あえて危険な状況に飛び込んでいこうとする、この心理。
調子が悪いと座り込むくらいなのに、ちょっと気分がいいと無理をする。
体調がいい時には、何でもできそうな気になるのかな。
体調がいい時には、自分が高齢だということを忘れるのかな。
その時その時の状況判断が鈍くなっているような感じ。
本人的には、『雨がひどくないから出られる』という判断だけど、
体調、高齢、天気など総合的な状況からすると、???
『木を見て森を見ず』という感じかな。
総合的に考えるのが苦手になっているみたいです。
昔はそうでもなかったので、年齢のせいかなぁ。。。
『迷惑』って何だろう。。。
『他人に迷惑をかけたくない』という思いが、人一倍強いKちゃん。
でも、
その『迷惑をかけない』という基準、行為が、
私からすると、
ちょっとズレてるような気がするのです。
例えば今回、
Kちゃんの『迷惑をかけない』は、『車で送ってもらうのは申し訳ないから、電車とバスで行く』
私にとっては、『電車とバスで一人で行かせて心配するよりも、車で送ったほうが安心』
なので、電車とバスで行かれるより、車で送る方が迷惑に感じないわけです。
そういうちょっとした日常の行動ひとつひとつに、
『ズレ』を感じるのです。
お互いの中に『こうしたい』という思いがある。
その行動だけを切り取ってみれば、
「は?」と思うようなこともあるけれど、
「なぜそうしようと思ったのか」にフォーカスしたら、
そこには、相手を思いやる気持ちが隠れていることに気が付きます。
これって、子育てにも共通することですよね。
『子どもがしたこと』に、
怒りたくなることもありますが、
『そうしようとした理由』に耳を傾けてみる。
何か発見があるかもしれませんね。
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