いのち
先日、
友人の大切な家族が、
天国へと召されていきました。
いのちあるもの、
いつかは迎える悲しいお別れ。
頭ではわかっていても、
その悲しみがなくなることはないでしょう。。
誕生し、
出会い、
笑ったり、泣いたり、ときには怒ったりして、
ともに過ごした懐かしい日々。
何かを与えられなくても、
その存在そのものが、
こころの支えであり、癒しであり、
生きる力になっていたのかもしれません。
ときには、
悩みの種になったこともあるでしょう。
それでも、
この世に生まれて、出会ってくれた、
ただそれだけで、
大きな意味のある贈り物を残してくれたのです。
悲しみ
以前聞いた話の中で、
『賽の河原』にまつわる話があります。
『賽の河原』とは、
親よりも先にこの世を去ってしまった子どもが集まる場所で、
子どもたちは、
親不孝の罪とされ、
その罪を償うために石積みを行わなければなりません。
一日中、石を積み、
完成間近で、
鬼が来て壊してしまうというもの。
子どもたちは、
永遠と石の塔を作らなくてはならず、
いつまでも三途の川を渡れずに成仏できないということです。
それでは子どもたちがあまりにもかわいそうなので、
それを救う仏様(お地蔵さん)がいて、
子どもたちを極楽浄土に導いてくれるのだそうです。
だいたいお話はここで終わることがほとんどだとか。
このお話の続きです。
どういうときに、
子どもたちの石積みは終わることができるのか。
いつ、
鬼が積んだ石を壊さないで、お地蔵さんが救ってくれるのか。。
それは。。。。
この世に残された親が、
悲しみを乗り越え、
泣き顔から笑顔を取り戻したときなんだそうです。
親がいつまでも悲しみから抜け切れず、
泣いてばかりで暮らしていたら、
子どもたちは、
いつまでも親不孝の罪を背負い続けなくてはなりません。
残された親が、
笑顔を取り戻し、
前向きに生きれるようになることで、
子どもたちの罪は終わるのです。
昔から言い伝えられた話がもとになっていて、
この話が、
本当かどうかはわかりません。
でも、
素敵な話だなと思いました。
子どもだけに限らず、
すべての大切な人にも、
当てはめて考えていいのかなぁって思います。
お別れのときは、
惜しみなく泣いていい。
(できれば最後の瞬間は、『大好きだよ!!』の気持ちを込めて、笑顔をプレゼントしたい)
でも、
そのあとは、
少しでも早く大切な人が天国(極楽浄土)で安らかに暮らせるように、
残された者にできることは、
『笑顔で生きること』
なのだと思います。
いつでもそこに
現代物理学では、
私たちの世界は、
すべては小さな『粒子』からできている
といいます。
ちょっと難しい話ですが、
人も動物も物も大地も空も、
みんな粒子の集合体。
その集まりが姿かたちを変えているだけ。
私たちが吐く息も、
身体の粒子が姿を変えて空気となります。
そうやって、
私たちの世界は、
目に見えない粒子たちが自由に動き回って、
形を変えて、
お互いの関係を作っています。
亡くなって、
灰となり、
煙になったとしても、
その中の粒子は、
今この瞬間、
呼吸で吸った空気の中にあるかもしれない。
そう考えると、
肉体はなくなっても、
遠くに逝ってしまったのではなく、
私たちの身体の一部となって、
生まれ変わったのです。
これまで以上に、
いつでもそこに、
あなたとともに生き続けていくのです。
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